『君たちはどう生きるか』を読んで:「立派」という言葉が意味するのは

最近すごく流行っているので、吉野源三郎原作の『漫画 君たちはどう生きるか』を読んだ。
ヒューマニズム臭が強くて受け入れ難いところもあったけど、読んでよかったと思う。
 
ざっくり言うと、
「人間でいる限り悩みや苦悩からは解放されない。
だけど、苦痛や苦しみを超えて行動を決定する力が人間にはある。」
というのがメインテーマだ。

他人が信じられなくても自分を信じればいい

ここからは僕の感想なのだけど、悲しいことに、本作の主人公のコペル君のように、苦しみを乗り越えて自分の決断をする後押しをしてくれる人が、みんなの周りにいるとは限らない。
親や家族が毒になることがあり、そういった環境にいた人は他人を簡単に信じられない。
じゃあ僕たちはどうすればいいか。
 
以前読んだアダルトチルドレンの本に
「過去の自分がほしかったものは、今の親からもらう必要はないのです。仲間や、そして何よりあなた自身が、それを与えてあげることができます。」
と書かれていた。
 
決定する力もそうだと考えたい。
先達や理解者がいたほうが良いけれど、必須ではないはずだ。
 

『立派な人』とは

また、本題と関係ないのだけど、この本には「立派な人」という言葉よく出てくる。
コペル君の父親は亡くなる前にコペル君が「人間として立派なもの」になって欲しいという願いを叔父さんに話す。
叔父さんからの手紙の中にも「ぼくやお母さんは、君の亡くなったお父さんといっしょに、君に向かって立派な人間になってもらいたいと願っている」という言葉が出てくる。
率直に言って、僕はこの「立派な人間」という言葉は嫌いだった。
よくある「立派な人」というのは、人から尊敬され地位も稼ぎも高くて人格的にも優れているという完璧超人なイメージで、具体性に乏しいと感じていたからだ。

また、大学の時の知人に「立派な人になりたい」という自分語りを暑苦しくする人がいて、その人のことがあんまり好きじゃなかったというのもある。

たぶん本書の大人達がコペルくんになって欲しいと思っていた『立派』は「独善的にならず、それでいて自分の意思ですべきことを決められること」というニュアンスだと思う。

また読み終えた後に『立派』の語源をググってみたところ、結構いい話があった。
語源1 僧侶が厳しい修行の末に、自分の一派を起こすこと。即ち派を立てるので立派。
語源2 因明(いんみょう、インド仏教における論理学)において立論(自説の義を立証すること)と論破(他人の非説を論破すること)が出来ることを立破文明と呼ぶことから派生した。

既存の集団から離れて新しい道を切り開く者、自分の正しさを説明できる者、他人の不確かな言説に流され無い人。
何やら、僕が前のブログのときから副題に挙げていたような意味になった。
そうか、僕は立派な人になりたかったのだ。
 

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