ポジショントークと不幸のくじ引き

人間の世界を動かす力学について考えて参りました。
この世界の言説は、ネットでもリアルでも、マウンティングや煽りが多く見られます。
匿名の場であるがゆえに、ネットにおけるそれは直接的あります。
実名の場であるがゆえに、リアルにおけるそれは巧妙であります。
私は他者との腹立たしいやり取りや、日々拡散されるネット上の過激な言説(ニュースサイトやまとめブログのヘッドラインなど)を日々見る中で、ここにはポジショントークと不幸のくじ引きとでも言うべき力学が働いているのではないかと考えるようになりました。
 

ポジショントーク

ポジショントークとは、主に相場の世界で使われる言説です。
ポジションとは、一言で言えば各人の金融商品の保有状況です。
これは、買い持ちの場合もあれば売り持ちの状態であることもあります。
(空売りとか信用取引とか証拠金取引とか派生商品とか先物とかオプションとかデリバティブとか聞いたことがあるでしょう。)
ポジショントークとはその人が取っているポジションにとって有利な言説を語ることを指します。
「マイナス金利で銀行預金は無意味だ。株を買い給え。」(彼は自身では株を買い持ちしている)
「株式市場のこのような連騰は近い将来必ず反転する。リスク量を減らし給え。」(彼は株価指数先物を売り持ちしている)
 
これは、何も金融商品に限ったものではありません。
人はあまねく、意図的に謙遜しない限り、自分が持っているものの価値を高く見せようとします
高い学歴を持っていれば、学歴と収入や人間性に相関があるという言説を好みます。
結婚していれば、結婚は素晴らしい、結婚して初めて一人前であるという言説を好みます。
貧乏や困難から身を立てた者であれば、その物語を誇ります。
 
そして、これは他者を出し抜こう、優位に立とうという計算ではなく、当人も実際に自分が持っているものは本当に素晴らしいものだと考えている場合が多いのです。
行動経済学では「所有効果」というものがあり、人は自分が持っているものには未だ手にしていないものよりも大きな価値を置くと言われます。
身近な例がクーポン券です。
路上で配布されたマクドナルドのクーポン券が、それがただポテトLサイズが290円から150円に値引きされるものであっても、失効になることや捨てることが惜しいと思ってしまいます。
そのクーポンには140円満額では無いものの、いくらかの価値があると考えてしまうものなのです。
これに抗うには、クーポン券のこのような効能に対する知識が必要です。
 
このようにして、各人が己のポジションに有利な言説を好み、口にすることで、多数派や支配的な立場の者が所有しているものの価値を喧伝する言説が広がっていきます。
モラルや美徳と呼ばれるものの多くも、ポジショントークが普遍化したものであるように思います。
(オスカー・ワイルドいわく「モラルとは単に個人的に嫌う人々と適応しようとする姿勢のことである」)
 

不幸のくじ引き

さて、では各人の持つポジションはどのように決まるのでしょうか。
私は、全てではありませんが、これは各人が考えている以上に「運」によって決まっていると考えています。
生まれた家や家族環境、生来的な能力のバラつきの果たす役割はやはり大きい。
また、遺伝的な疾患や、後天的な事故、家族以外でどのような人間と出会うか、これらはもはやくじ引きの世界ではないでしょうか。
私たちは自分の所有しているものを愛するように出来ているようですが、自分何を所有するかは相当程度くじ引きで決まります。
 
 
また、持たざる者ほど自分の持っていないものに敏感です。
自分の持っていないものに対する評価は、過小評価(酸っぱい葡萄)となることも、過大評価(隣の芝は青い)になることもありますが、いずれにせよ心理的に大きなスペースを取ることになります。
なぜなら、それが人生においてつまづく原因になりやすく、生来的な能力や外部環境(くじ引きの言い換えです)のせいにしない限り、自分の努力の不足ということになるためです。
 
ゆえに、私は単なるくじ引きではなく、不幸のくじ引きと名付けました。
各人の持つポジションだけでなく、他者が持つものを含めたポジションの評価は、不幸のくじ引きで決まる部分が大きいのです。
 
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私たちは、不幸のくじ引きで与えられたポジションにとって都合の良い物語(フィクションもノンフィクションも含みます)を、何度も何度も語り、また、他者のポジショントークを語られます。
自分の持つものに拘泥せず、他者の物語に流され過ぎないようにするために、科学や思想が必要なのだと思います。