人間は自分の知らないことを否定できる(僕の武勇伝になってくれないか)

私は人間の持つ批判・否定の力を恐ろしく感じます。
※本稿で言う「否定」は必ずしも論理的に筋道の通ったものではなく「攻撃」に近いニュアンスで使っています。

知らないものを否定できる

作家の橘玲さんの2014年から2016年までの雑誌連載をまとめた「『リベラル』がうさんくさいのには理由がある」(集英社)という本があります。
この本では、自分の知らないものを一方的に拒絶して否定するような言動の例がいくつか挙げられていました。
・シャルリー・エブドの風刺画を掲載した出版社への批判
→抗議に対して出版社が「読んでみてほしい」と答えたが、「いらない、読みたくない」との答えだった。
・米国人ランナーの戦争経験とその後を描いた映画「不屈の男 アンブロークン」の日本上映に反対する主張
→映画は見ていないが、事実無根の思い込みや決めつけによる作品で上映の必要はない。
 
橘氏はこれらの言説への批判を通して、事なかれ主義で自らの欲する「表現の自由」のみを行使する大手メディアや、「自分はヘイト表現だと感じた」という個人的な主調を他者に押しつけようとする自称リベラルな知識人への批判を述べています。
 
また、以前のブログにも書きましたが、ウォール・ストリート・ジャーナル電子版の有料記事の刺激的なタイトルと冒頭の数行だけ(全文は会員限定)を見て、自分の意見を滔々と述べることが出来ます。
 
人間は、自分が知らないことも、理解していないことも批判できます。
本を読まずに、そんな本は読むまでもないと言うことが出来ます。
 
これは、いくつかの類型に分けられると思います。
・極めてシンプルな理屈でもない限り、理屈の一部分を否定することで全体を否定することが出来ます。
・大きなカテゴリや属性にあてはめ、該当するカテゴリ全体を否定することで個別の主張を否定することが出来ます。
・主張そのものを批判することではなく、話者を貶めることで否定することが出来ます。
(キャリアが浅いから、独り者だから、コミュ障だから、学が無いから、貧乏だから)
・自分の感情を道具として使い、根拠を明示せずに否定することが出来ます。
(下品だ、違和感がある、卑劣だ、俺を馬鹿にしているのか)
 

僕の武勇伝になってくれないか

人間が他者を否定することにかける情熱や技術について、時に恐ろしいと感じます。
私たちは他者を非難したり否定することに、快感を感じているのではないでしょうか。
マウンティングしてサンドバックにして、良い気になりたいのではないでしょうか。
知識を深めたり経験を積むのは、他者を否定するためではないでしょうか。
 
あいにくと、一頃読み漁った進化心理学の本では、人間は復讐を行う時に脳が活性化するということは書かれていましたが、他人を否定することから快感を感じるという記述はありませんでした。
ただ、人間には自分をよく見せようとするバイアスがあるということはカーネマンもピンカーも書いていました。
(例えば、上手く行ったら自分の実力、失敗したら運のせいにする傾向)
人間の集団では、他者を否定することは、自分をよく見せることに繋がります。
私たちは、誰かを否定して、それを自分の武勇伝にしたいのかもしれません。
 

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