不適合者とベネターの反出生主義

 
デイヴィッド・ベネターの『生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪』(訳:小島和男・田村宣宜義、出版:すずさわ書店)を読みました。
本書は2006年に出版されたベネターの主著『Better Never to Have Been- The Harm of Coming into Existence』の邦訳です。
夏に本書の出版予定をTwitterで見てからずっと気になっていました。

 
ベネターは南アフリカのケープタウン大学の教授で、反出生主義の主張で知られています。
訳者代表の小島和男氏によるあとがきには、日本では2013年に生命倫理が専門の早稲田の森岡正博教授(2013年当時は阪大教授)が論文で紹介したことで、インターネットを中心にベネターの名前と反出生主義の主張が認知されるようになったと書かれています。
私も『反出生主義』という言葉は2ちゃんねるで知りました。
 
リンク:森岡教授のサイト
「生まれてくること」は望ましいのか デイヴィッド・ベネターの『生まれてこなければよかった』について
「生まれてこなければよかった」の意味
 
読了した感想としては、概要しか知らなかった反出生主義の全体像が分かって良かったと思った一方で、もやもやが残った点もありました。
 

存在と苦痛・快楽の非対称性

通して読んで感じたのは、ベネターの反出生主義の考え方の骨格にあるのは、2つの非対称性だということ。
1つ目は、すでに存在している人についての「人生を続ける価値がないと判断するほどの苦痛」と、まだ存在していない人についての「人生を始めない方が良いと判断するほどの苦痛」では、後者のほうが閾値が低い(程度の低い苦痛で足りる)という考え方です。
端的に言い表した箇所を引用すると、
私たちは、人生を始めないという判断をすることよりも、終わらせるという判断をすることに強い理由を必要とするのだ。
ということになります。
にもかかわらず、私達が通常考える「生まれてこないほうが良かった」は、すでに存在するものの視点に立った閾値で論じられていると指摘します。
反出生主義に対して「そんなに生きるのが嫌なら自殺しろ」という批判がよく出てきますが、そういう話じゃないんです。
 
2つ目は、下のマトリックスにあるような快楽と苦痛の存在に対する非対称です(ベネターの紹介でよく出てきます)。
 
「苦痛がある状態は悪い」
「苦痛がない状態は良い」
「快楽がある状態は良い」
「快楽がない状態は悪くない
 
以下に引用した思考実験をしてみると「まぁ確かに」と思う人が多いと思います。
苦痛に彩られた人生を生きている異国の住民のことを思うと確かに悲しくなるわけだが、もし存在していたらその島に住んでいたであろう幸福な人々のことを思って同じように悲しくなったりはしない。
これによって「存在しないこと」がより良いというエッジがかかります。 
 
この普遍的な非対称性を前提にしているので、ベネターの「存在してしまうことは害悪である」という主張は、不幸な人やマイナス思考の人や貧者だけではなく、人類を広く射程に捉ます
(さらには、優生学と障害者差別といったデリケートな問題もクリアできてしまいます。)
ただ、本書の論証を追って行くとどちらの非対称性もなるほどとは思うのですが、残念ながら「そう考える人が多いだろう(そうに決まってる)」という以上の確定的なエビデンスは出てきません。 脳科学や心理学のアプローチから、人間が実際にこのように考えるというエビデンスが出てくれば説得力が増すと思います。

不適合者の感じる「存在することの害悪」

もう一つ考えさせられたのが、反出生主義は誰のためのものかということです。
正直に本音を言うと、私が反出生主義という考えに惹かれたのは、自分が不適合者だからです。
  • 生まれた家がうまくいってない場所だったこと
  • 会社員生活に疲れて働かないと生命を維持できない人間の生活にが虚しくなったこと
こういった背景から私は「生まれてこなければよかった」と頻繁に考えるようになりました。幸福な人間による、脳天気に出生を賛美する言説が、不適合者である私にはマウンティングか思想矯正のように聞こえました。
彼・彼女等の幸福が妬ましく、自分の生きづらさは他人の幸福のトレードオフとして存在しているのではないかという逆恨みを覚えたこともあります。
全員が不適合者になるわけではありませんが、不幸のくじ引き(※)は、遺伝的な要因、家族、資産、人間関係等を割り振り、結果として一定数の生きづらさを抱えた不適合者が発生します。
  
これに対して、先に述べたようにベネターのロジックは全人類を対象としています。
彼の哲学は、不幸や生きづらさを抱えた個々の人間に、問題解決の材料を直接与えるものではありません。
(冒頭にリンクを張った森岡教授の2つ目の論文「『生まれてこなければよかった』の意味」でもこの点を取り上げています。)
生きづらさを持った人間が、生まれてくる価値は無かったかもしれない人生をどう生きていくのかを考えるためには、もっと別の知識や思想が必要だと感じました。

   
※「不幸のくじ引き」は私のオリジナルな思想のつもりですが、似たような主張は昔からあるのかもしれません。本書でも「つまり彼らは、めいっぱい弾が込められた銃で、ロシアンルーレットをしている」という表現が出てきて親近感を感じました。
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