借りを作りたくないのは関係を継続したくないから?

他人に借りを作るのがずっと苦手でした。
仕事でもプライベートでも、誰かに借りを作ることを恐れていました。
他人に要望を伝えなければいけないときは、自分の正当性と行為の必然性を裏付ける材料をいつも探していました。
金銭の割り勘であっても、100円単位まで割れないと落ち着きませんでした。
 

借りを作ることで自分が弱者になる?

なぜこんなに借りを作ることを恐れるのかというと、借りを作ることで自分が弱い立場になり、他人の要求を断りにくくなることを恐れていたからです。
他人は、世間は、社会は、いつか自分が負った借りを引き合いに出して、自分に対して理不尽な要求をするのだろうと身構えていました。
 
旧ブログ:仕事で人に頼み事をするのが苦手なんだ
昔から人に頼み事をするのが苦手だった。特に仕事に関する場合において顕著だ。人間不信と自分が働くのが嫌だからというのが理由だと思う。(人間不信については人間失格の話で書いたのでよろしければそちらもどうぞ。)人間不信だと頼みごとがしにくい相手に頼み事をするの

旧ブログ:世間はかくも恐ろしい

世間には弱みを見せてはならない。そこには、弱者を叩きのめし、自分の糧にしようとする者がいる。世間に隙を見せてはならない。そこには、抜け目なくそれを見つけ、不意打ちの機会を窺う目がある。世間を攻撃してはならない。そこには、受けた屈辱は決して忘れず、末代まで

これは、主に人間不信ゆえの認知の歪みだと思います。
実際には、貸しがあることを強調して自分の言い分を通そうとする人は稀です。
ただ、貸し借りを道具にして他人を操作しようとする人間から痛い目にあった経験があると、他人とのやり取りの全てにそれを拡張して構えてしまうのではないでしょうか。
こういった見方は、バーンズ博士の認知の歪みの類型だと「行き過ぎた一般化」や「論理の飛躍」に該当すると思います。

貸し借りと人間関係

最近、上で挙げた視点に加えて、貸し借りを嫌うのは「関係を継続したくないから」ではないかということを考えました。
きっかけは、デヴィッド・グレーバーの『負債論』(監訳:酒井隆史、出版:以文社)でした。
 
この本では、負債の歴史を辿りながら、いかにして共同体内の貸借が儀式や紛争解決の手段と結びつき、今日の貨幣経済・資本主義社会に行き着いたのかが書かれています。

その中に、動物記で有名な博物学者のアーネスト・トンプソン・シートンのエピソードが出てきます。
アーネストの父親は、息子の21歳の誕生日に奇妙な請求書を送ります。
それは、アーネストが生まれてから21歳になるまでに掛かったあらゆる支出の請求書でした。
そこには、彼の出産時に医者から請求された費用までもが含まれていたそうです。
そして、アーネストはそれを支払ったと言われています。
このエピソードに対してグレーバーは以下のように述べています。

そのような振る舞いは、残酷で非人間的なものに見える。
シートンは間違いなくそう考えたはずだ。
彼は請求書の支払いを済ませ、その後二度と父親と話すことはなかったのだから。
そしてまさにそのために、かかる請求書がかくも常軌を逸して見えるのである。
勘定を清算することは、双方が決別することができるということでもある。
それをやってみせることで、父親は息子とはこれ以上何の関わりもないということを示唆したのである。
いいかえると、両親に負うものを一種の負債として想像できるとしても、それが実際に返済可能であるとかそれから返済されるべきものだとすら考えるものはほとんどいないのである。
とはいえ、もし返済が不可能ならいかなる意味においてそれは「負債」なのか。
また負債でないなら、いったいなんなのだろうか。
 
デヴィッド・グレーバー『負債論』(監訳:酒井隆史、出版:以文社)第五章より引用。ただし太字強調は管理人による。
 
人間は、誰かから良くしてもらったらそれを返さなければならないと感じます。
これを「応酬性」と呼びます。
そのため、貸しを持っている方だけでなく、借りを負っている人の方でも、それを返さなければいけないように感じるのです。
そして、他者との間に貸し借りがある限り、その人と関係を持っている状態が続きます。
シートンの例だと、父親が貸し借りの清算を要求し、(心情はどうであれ)シートンそれを支払った時点で、彼はそれ以上父親と関係を継続する理由を見い出せなくなったのでしょう。
この親子は貸し借りと合わせて、人間関係も清算したのです。
もっとも、親子関係を清算可能な貸し借りとしてとらえるのはクレーバーの言うとおり「残酷で非人間的」なことなのかもしれません。

借りを作ることを恐れる(嫌う)ことの背景には、初めに挙げた「弱者になる恐れ」だけでなく、借りを作らないことで周囲との関係を清算可能な状態にしておきたいという心理があるのかもしれません。

 
ちなみに、シートンの父親がしたような計算を、私は自分自身についてしたことがあります。
実際に親に渡して関係を清算しよう(清算できる)とは今のところ思っていませんが、それに相当する額の蓄えが出来た時には、少し心が軽くなった気がしました。
 
 
関連記事:
負債論に絡めてもう一つ書きました。
今年の初めにデヴィッド・グレーバーの『負債論』にからめて「貸し借りがあると人間関係が継続しやすい」ということを取り上げた。 関係を継続した...

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする