親から凡人のレッテルを貼られていたのかも

私はずっと、親というのは大変傲慢な生き物だと考えていました。
世間的には難関と言われる大学に行った息子が業界研究やOB訪問をして判断した就職先の選択や、業界で数年間働いた経験がある息子の転職の選択を、自分がテレビで見たものや一昔前の常識に基づいて否定して来ます。
そこでは、親子というヒエラルキーが情報の正確さを凌駕します。
ただ、他の人と話すと、選択肢を尊重されたという話も聞くので、私が良い関係を築けていないだけかもしれないとずっと引っかかっていました。

凡人のレッテル

インタビュー漫画の『絶望に効くクスリ』で有名な漫画家の山田玲司さんが『非属の才能』(光文社新書)という本を書いています。
その中で山田は、親世代は群れることで幸せを実感できる時代を生きてきており「より上位の集団に属することで幸せになれる」という価値観を子供世代に押し付けがちだと述べます。
そして、上位の集団に属することを勧める背景には、純粋に幸せを願う気持ちだけでなく
「私の子供はたいして才能も能力もないのだから、せめていい群れに入ってくれさえすれば、あまり苦労せずに安定した人生が送れる。」
という、凡人のレッテル貼りが本音にあると指摘します。

これは目からウロコが落ちる指摘で、私が感じていた違和感の答えに近いものだと思いました。
親から見ると、私は生まれてから今までずっと凡人だったのかもしれません。
上位の集団に属することにはそれなりに成功しましたが、「たいして才能も能力もない凡人」のままだったので、低リスクな企業に就職し、転職もせず低ボラティリティに生きて欲しかったんだと思います。
ここですごく難しいのは、上で書いた「低リスクな企業」は「親のイメージする低リスクな企業」であることが求められていることと、会社へのヘイトを貯めながら転職もせずに働き続けるのは相当にリスクが高いという観点がたぶん親には無いことです。
ここまで来ると理解し合うのは無理な気がします。

尊重することも正しい助言も難しい

人間が他の人間に対して語る言葉には、意識的であれ無意識であれ、相手を操縦しようという思惑が背後にあります。
特に、人間の親がよく言う「お前のためを思って」という言葉は、大体の場合、親の都合で子供をコントロールしようとする思惑によるものです。
老いた自分の面倒を見させるために、土地に縛りつけたり、自分の影響力の範囲内(家業等)に置いたり、収入のボラティリティの低い職業に誘導します。
また、面倒を見させる意図が大っぴらになくても、賞味期限の切れた情報や表面的な理解に基づいた誘導になる場合が多いので、やはりミスリーディングであることは変わりません。

トンビがタカを産まないのではなく、トンビはタカを育てられないのかもしれません。

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