「あたしおかあさんだから」が引っかかる理由

Twitterのタイムラインに流れてきた歌の歌詞カードらしい画像をタップして中身を読んで、なんとも言えない気持ちになりました。
心がえぐられるというか、Twitterしてたことを後悔しました。
これね、グロ画像とか淫夢じゃなくて、今話題の「あたしおかあさんだから」のことです。
リンク:Togetterの本件のまとめ
 
この歌が、ワンオペ育児や、子育て世代への支援が不十分な社会への批判として書かれたのであれば、パンチが効いた皮肉で面白いと評価していたと思います。
でもたぶんそういった意図はなさそうです。
お母さんでもなくこれからお母さんになることも絶対にない私が言うのもおこがましいけれど、少し思うところを書きます。
 

複数の立場と複雑な感情と単純な構図

母親にかぎらず、人間には複数の立場と複雑な感情があります。
新世紀エヴァンゲリオンに出てくるスーパーコンピュータのマギは、製作者の赤木博士(おかんの方)の人格を移植した3つのシステムの合議制で意思決定をします。
システムにはそれぞれ、赤木博士の、科学者としての自分、母親としての自分、女としての自分の人格が移植されています。
これは、人間の意思決定の過程にある異なる立場ゆえに生じるジレンマを再現するためです。
さて、話を戻すと、この歌の歌詞では、かつては働いていたり化粧をしていたというくだりに「職業人」としての自分と「女」としての自分がちらと顔を見せるものの、あくまで現在の「母親」としての自分の影法師としてに過ぎません。
「母親」以外の立場が過去の失われたものとして出てくるので、「子供が出来たら第一に母親であるべき」という主張を押し付けているように見えるのでしょう。
 
また、子育てが愛する子供の代価として受け入れなくてはいけない「苦行」として扱われているように見えるのも違和感のもとだと思います。
親しい友人の話などを聞くと、大変なこともあるけど子育てのプロセスに楽しみと発見があると言う人が多いです。
 新幹線の名前を覚えるのも、料理をつくるのも、子供番組を見るのも、子供のために仕方なくやってるような印象を受けるのが経験者の実感に反するのではないでしょうか。
 
まとめると、複数の立場を持った人間が行う、複雑な感情を伴う子育てのプロセスを、「おかあさんが我が子可愛さのために我慢する」という単純な構図にしてることに違和感を感じるのだと思います。
 

母親の犠牲をどこかしらで見て後ろめたく思っている

これは単に私が読んでていて辛かった点です。
私は母親が家族の犠牲になったと感じていて、負い目を感じています。
今でも母親に生まれてきてごめんなさいと思っているし、母親は自分を産んだせいで不幸になったのではないかと思っています。
父親と祖母がアクが強くて気難しい人だったので、子供の目から見ても気遣いや奉仕を求められているように見えました。
歌詞にあるような場面(ライブやお洒落)とは直接関係ないのですが「おかあさんだからがまんする」という構図に、今までの人生で見た嫌なシーンを思い出すのです。
上手くいってない家庭で我慢する母親を見ていた人、自分の行動のせいで母親が責められた記憶を持っている人、この歌の構図で、嫌なことを思い出しませんか。

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