ペリカン便ノスタルジア

 
 
ペリカン便のトラックの玩具
僕が思い出せる一番古い記憶だ。
何才のときかは思い出せない。
陽のあたる実家の廊下で、ペリカン便のトラックの玩具で遊んでいる自分の姿。
玩具をいじる自分の手を主観で眺めたイメージ。
車体には黄色いラインとペリカンの絵。
荷台の後部の扉は開閉する。
運転手は乗っていない。
ホワイトとイエローの車体と黒いタイヤの、ペリカン便のトラックが大のお気に入りだった。
幼い彼にも廊下に傷をつけると怒られるという認識があり、優しく優しく走らせていた。
 
月日が過ぎる。
それから20年経った、桜が咲くにはまだ少し早い春の日。
僕は日通の引っ越しの担当者を待っていた。
当時住んでいた大学の寮から、2週間後に働き始める会社の独身寮に荷物を運ぶためだ。
会社の委託している業者が日通だった。
今はどこにあるのか分からないトラックの玩具を思い出し、すこし、懐かしくなった。
不安はたくさんあったが、それと同じくらいの希望もあった。
 
さらに月日は過ぎる。
2010年7月
日通は、2年前に日本郵便との合弁会社に移管した宅配便事業を完全に手放し、ペリカン便はゆうパックになった。
新聞を毎朝読んでいたはずなのに、僕がペリカン便が無くなったことに気付いたのは、消えてからずっと後になってからだった。
働くようになって、ストレスを酒で誤魔化すことを覚えたり、太ったり、異動したり、転勤したり、転職したりした。
そうした日々の中で、ペリカン便の消失は、焼酎の水割りと一緒に流れていったのかもしれない。
 
別れや消失のイメージにペリカン便がダブる。
トラックの玩具は、大学に進学して家を出るころにはもう手元に残っていなかった。
大学の寮から荷物を搬出した時に感じていた不安や希望は、今はもう全然考えていないことばかりだ。
そしてペリカン便はゆうパックになった。
さようなら。

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