僕たちは不幸のくじ引きを許容する。自分がハズレを引くのはごめんだけど。

生きていて、自分は大きな大きなルーレット台の前にいるように感じる時がある。
ただ、このルーレットは玉が落ちる数字を賭けるものではない。
円周の一点に、外側を向いた矢印が書かれている。
円盤が回転をやめたとき、矢印が外側の一点を指す。
そうだ、これは人生ゲームのルーレットだ。
人生ゲームでは、矢印の先には数字が書かれていて、それはサイコロと同じ役目をした。
ルーレットで出た目だけコマを進める、ルーレットで出た目で就職や給料や子供の性別が決まる。
 
僕の目の前にあるルーレットでは矢印の先にいる人間に不幸が訪れる。
「次は交通事故」
「次はアル中の父親」
「次は自分に悪意を持った人間との遭遇」
「次は仕事の前任者のミスが自分が担当の時に明らかになってしまう」
アナウンサーのように滑舌の良い声が響き渡り、台の周りにいる僕たちは戦々恐々。
さぁ、次はどんな不幸が割り振られるのだろう。
 
幸福は運に左右される。
家族、親の資産状況、人との出会い、不慮の事故。
僕たちは幸福になるために生きているけれど、その目標を達成するために配られるカードはてんでバラバラだ。
配られたカードのうち、金銭や理解のある親や友人は幸せになるためのリソースとして機能する。
それと同時に、家庭の不和や肉体的・精神的に脅威を与えてくる人間との遭遇のように、それ自体が不幸として現れるカードがある。
だから僕は、これを不幸のくじ引きと呼ぼうと思う。
 
私達は、他人の不幸を悲しむこともあるし、喜ぶこともあるが、自分が不利益を受けてまでそれをなんとかしようとは思わない。
高齢者が子供を轢き殺す事件に胸を痛めながらも(※)、代替の交通手段を整備して、免許返納を促そうとはしない。
どうか、自分が損害を被るかたちで事故が起きないで欲しいと願うくらいだ。
僕たちは不幸のくじ引きを許容している。
だが、自分がハズレくじを引くことは死んでもごめんなのだ。
 

☆☆☆

僕の横にいる人の前で矢印が止まった。
彼は大きな声で叫ぶ。
「助けてくれ。こんなことはもうやめよう。」
彼の運命は変わらないが、せめてルーレットを回す前にそう言ってくれれば格好良かったのに。
もっとも、そう言ったところでこの台から離れることは誰にも許されていないのだけれど。
 
※80歳を超えない高齢者の死亡事故の発生率は他の年代と変わらないかむしろ低いとのこと。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする