他人をストレス解消の道具にする人と、小さなコミュニティの弱者

人間は、他人を自分のストレス解消に利用しようとする。
怒鳴りつける
否定する
操作する
困らせる
暴力をふるう
 

閉鎖されたコミュニティの弱者

赤の他人をストレス解消のためのサンドバックにしてしまうと反撃されたり社会的な制裁を受ける可能性が高いので、集団内の弱い立場の人間がサンドバック役に選ばれる。
家族でも会社でも学校でも、人間のコミュニティはある程度の自治機能を持っている。
明確な刑法犯にならない限りは、外の社会はそこに踏み入ってこない。
それゆえ、小さなコミュニティで虐げられる人々は救われない
 
僕の父親は、家族でストレスを解消する人だった。
ちょっとでも嫌なことがあると、家中に聞こえる声で怒鳴る。
子供の頃の僕は、風呂場で石鹸が小さくなっているのに補充されていないのは、とてつもなくオオゴトだと思っていた。
そういう状況になると父親がひどく怒鳴るからだ。
もちろん、家族の中の大人達は、石鹸がないことは取るに足らないことで、それに対して大声で怒鳴ることは普通じゃないと分かっていただろう。
でも、子どもの世界は家族と学校が世界の全て。
学校や同年代の友達と話す機会が無い物事は、家族の基準が全てだ。
そして、僕の家族の基準は、けっこう歪んでいたんだ。
 

自分の意志で壊せる世界

幽遊白書で、玄海師範が魔族になった幽助に向かって
「人はだれでも自分の意志で壊せるものがある。あんたはそれが他人より大きいだけだ。」
という旨のことを言って、突き放しつつもなぐさめる場面がある。
父親にとって「家庭」は、自分の意志で壊せる小宇宙だったのだろう。
だから、何かストレスを感じると、「家庭」に向かってストレスを解消していんだろう。
 
 
こんな経緯があって、僕は自分の生きづらさの解決方法を家庭や子供に見出すのは駄目だと強く思う。
生きづらさを抱えた人間がストレス抱えると、その矛先が自分の所属集団の自分より弱い人間に向かう。
そうして、小さなコミュニティは弱者にとっての地獄に変わる。
「あんたはこの世界を憎んでいるんだろう。どうしてそんな世界に子供を作ったんだ。」
そんな疑問を、僕はずっとずっと、父親に対して持っていたんだ。
 
僕達は、誰かが気まぐれで壊せる世界に住んでいる。
それなら僕は、強者の戯れの矛先が自分に向かわないコミュニティにだけ属していたい。
結局、僕が取った選択肢は、薄いつながりの中で生きていくことだった。
自分に矛先が向くことがなく、自分がストレスを誰かで発散しようとしても自分にその力がないように。
 

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