作法や説明は再分配『稟議のてにをはを直して食う飯は美味いか?』

社会にはいろいろなお作法がある。
  • 敬語
  • 名刺交換
  • 報告書の書き方
  • メールの宛先を偉い人順にする
などなど
 
 
ある程度共通している事項もあれば、会社によって違うものもある。
「掲題のとおり」の会社があれば「標記のとおり」と書く会社がある。
「稟議」と書く会社があれば「りん議」と書く会社がある。
問題なく通じる文章に対して、「てにをは」や主語の位置にケチを付けてくる人がいる。
往々にして、そういう人に限って「申し訳ございません」(「申し訳ない」の「ない」だけ変えるのはおかしい)とか「お先に失礼させていただきました」(失礼する=退社する、ではない)のような、コンビニ敬語のようなビジネス用語には無頓着だ。なぜなら皆が使っているから。
「俺たちは雰囲気でビジネスをやっている」
 
また、日本の組織だと「自分が担当している案件を上司に説明する」という作業が求められる。
いや、それはいい。
職務権限が決まってて、複数人が確認するからガバナンスが効くんだ。
ただ、上司によっては、案件の内容がそもそもよく分かっていなくて、勉強する気もない人がいる。
そういう人でもジョブローテーションで知識が必要な部署の管理職になることがある。
そういう人がどうするかというと、仕事した感を出すために、どうでもいいところにこだわったり、過剰に外部に確認させたりするんだ。
でもって、そういう人は案件がシコると「俺はそんなこと聞いてないぞ」と言う。
担当だけでは気付けなかった問題点を発見するのが決裁権限者の役目じゃないのかね。
 

年寄りや知識が無い人への再分配

僕は幸い、上で述べたようなどうでも良いことに口を出す人は、職場を変えるごとに減って行った。
これは、人材の流動性が高いところほどそういうどうでも良いことを気にする人が少なかったように思う。
(これはポジティブな意味で言っている。中途採用者が多いからバックグラウンドが多用だし、辞める人が相応にいるのは他社でもやって行けるスキルが身に着くからだ。)
一般化出来ないかも知れないが、偶然では無いと思う。
 
なんとなく辿り着いたのは、「作法」や「説明」は再分配としての側面があるということだ。
あるいは、再分配と言うより平準化と言う方がイメージに近いかもしれない。
 
「作法」は、「年少者・勤続年数が短い人」から「年長者・勤続年数が長い人」への平準化だ。
長く生きている人、長く働いている人が社会や社内の作法を良く知っている。
そして、「作法」を覚えるのには、知的なバックグラウンドがいらない。
少なくとも、法律や税金のエビデンス(条文や通達)を探したり、複雑な数値計算をするよりは技術がいらない。
「似たような文章を読んだことがある」というだけでアドバンテージが取れるのだ。
業務知識が無かったりアップデートが出来ていなくても、「年長者・勤続年数が長い人」がこのフィールドでは活躍出来る。
おめでとう。これで読み合わせの会議や文書の回覧で発言が出来るよ。
「説明」については、「知識がある人」から「知識が無い人」への平準化だ。
本来は上司は担当者よりも業務知識があることが前提だが、会社によっては業務知識が無い人間がジョブローテーションや親会社の天下りで管理職になれる。
 
この再分配の恐ろしいところは、ほどこしを受けている側の人が偉そうにすることだ。
どうでもいい「作法」を指摘して「俺は良い仕事をした」と悦に入る人間はその滑稽さに気付かない。
担当者からの説明を理解するだけの知識が無く勉強する気も無い上司は、分かるように説明するのが部下の義務だという傲慢な思い違いをしている。
 
以前Twitterで、
『稟議のてにをはを直して食う飯は美味いか?』
というようなツイートを見かけた。
僕もそう言ってやりたかった人が5人ぐらいいた。

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