人付き合いが苦手な僕が人が必要だと感じた話(自分の痛みよりも、大切な他人の痛みに耐えられない)

「一人で生きていきたい」
これは青年期以降、私の行動の根底にある願望だった。
良い大学に進学し家を出たかった。
自分で収入を得て一人で生活したかった。
 
願望であるだけでなく、これは自分に向いた生き方だとも思っていた。
飲み会に行くよりも本を読んでいる方が好きだった。
食事は誰かと食べるよりも自分の好きな時間に好きなように食べたかった。
誰かが近くにいるとよく眠れなかった
人と話したくなる時もあるが、たまにで良かった。
一人で孤独に死ぬことをが嫌だとは思わなかった。
人と一緒にいる辛さよりも、一人でいる辛さの方が自分は耐えやすいと思った。
そして、自分の痛みであれば、一人であらゆることに耐えられると思っていた。
 
最後が問題だった。
最近になって、他人の痛みに耐えることは一人では難しいと感じた。
その話をしようと思う。
 

被害者でも加害者でもある人

先日、母親が手術をした。
幸い難しい手術ではなく術後の経過は良好だ。
だが、手術室から出てきた後の、身体中に管がつながれた姿を見ると、年相応の老いと弱さを感じた。
あぁ、この人は私を生み育てたがために、老い、弱くなったのだと思うと、自分がその加害者になったかのように感じた。
 
何も出来ず、ただ傍に立っていただけなのに、自分自身も弱ったように感じた。
刺すような苦痛ではない。
背中から覆いかぶさってくるような重みと感覚の鈍麻を感じた。
 
肉親の感じた苦痛や困難であっても、父親や祖父母の時は、自分の痛みのように感じることはおろか、かわいそうと感じることさえなかった。
「彼等は僕よりも老いている。老いているからには病に苦しんだり体が不自由になるのは当然のことだ。」
そう考えていた。
それとは異なり、母親に対する感情はもっと複雑だった。
私の中には「生まれてこなければ良かった」という被害者的な意識と、「母親は自分を産んだせいで不幸になった」という加害者の意識がある。
この2つの綱引きが、私の中で、高い自尊心と低い自己肯定感と、優しさと弱さと気難しさを作っていた。
他の家族が私にとって加害者であるのに対し、母親は加害者であると同時に私の被害者だった。
 
そのような関係を持つ人の痛みに、私は自分ひとりでは耐えられなかった。
この件が一段落つくと、私は話を聞いてくれそうな人たちにLINEでメッセージを送った。
誰かに自分の状況を知ってもらって、私の感じた自分自身も弱ったような感覚の話を聞いてもらいたかった。
あれほど、無所属と人間関係からの解放を求めたのに、あのとき、私は確かに人間を求めた。
人間は自分の痛みは一人で耐えることができるかもしれない。
だが、人間は重要な他人の痛みは一人では耐えることができない。
少なくとも、僕はそれに耐えるために、誰かにそれを話す必要があった。
 

人間の集団を作る機能

会社と家族は、僕が一貫して懐疑の対象とみなしてきたものだ。
だが、今回はその有用さを思い知らされた。
そこに所属すれば、最低限、誰かと繋がることが出来る
不幸なくじ引きの結果、それらに殺されてしまう人もいるが、誰かと繋がることのメリットの方が総体としては大きいから、皆、会社と家族を求めるのかもしれない。
「子女の養育、老親の世話」「分業による専門化、スケールメリット」
家族や会社の機能とされているそれらの事は、実は全て副次的なもので、一義的な機能は人間の集団を作ることにあるのではないだろうか。
 
僕は今回、おそらく生まれて初めて、月曜日に会社に行きたいと思った。
顔を知っているたくさんの人に会って、自分の感じた他人の痛みを聞いて欲しかった。
そうして、重さと鈍麻を自分から取り除きたかった。
これまで私が依って立っていた場所が大きく揺らいだ気がした。
 
 

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