拝啓 ヴィクトール・フランクル(それでも僕は疲れたと言いたい)

 
ヴィクトール・フランクル様
 
あなたは「夜と霧」で、強制収容所での凄惨な経験をもとに、極限状態にあっても人間には自分の生き方を選ぶことが出来るとおっしゃいました。
この考え方は多くの自己啓発の考え方の源流になっており、「道は開ける」のデール・カーネギー、「7つの習慣」のスティーブン・コヴィーにも大きく影響を与えました。
あなたの思想の後継者はこのように述べます
人間は外界からの刺激に対してどのように行動するかを選択する自由がある、と。
 
あなたの指摘の多くは、私にとっても納得できるものです。
人間は、直面している困難に立ち向かうことを拒否するために、過去にしがみつき心を閉ざす。
 ー 人々が自分が傷つかないように世界を歪曲する場面を、僕も幾度も見てきました。そして自分自身、そうしてきました。人間には、自分で自分を惨めにしてしまう傾向が確かにあると思います。
生きることの意味を問うのをやめ、自分が問われているのだと考える。困難も、苦悩も。
 ー 「生きる意味は何か」という問いでは、希望を失った人間は生きる意味を見いだせません。人生は、目的に向かって進むレールではなく、刻一刻と過ぎる連続した刹那なのでしょう。
 

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ただ、それでも僕は「疲れた」と言いたいのです。
自分は苦悩が多く喜びが少ない人間ですが、それでも現代的な平和と豊穣を享受して来ました。
水のように薄いスープだけで極寒の中で長時間の強制労働を課せられたことはありません。
それでも、生きることについて「疲れる」のです。
 
毎朝決まった時間に起きなければならないことに。
混雑した電車で会社まで通うことに。
それを避けるためには労働で得た金を犠牲にして通勤時間を短くする必要があることに。
自分が話したくない時に他人と話さなければならないことに。
賃金のために労働をしなくてはならないことに。
労働として、他者の決めた「目的」のために自分が何かをしなければならないことに。
 
はっきりと味わえるような快がなく、ただ不快を避けたい。
疲れてまで追い求めたい目的や快楽がない。
思想や大きな目的に同化しようにも、「しかし」を重ねてしまいそれに同意できない。
同意できないもののために心と体を動かすとひどく疲れる。
人生の課題は「労苦」のように感じられるし、「経験」もまた自分をすり減らす砥石のようです。
 
人間は、選択の自由を行使することで、各人が考える以上に自分と世界を変えることができる。
これは真実だと思います。
ただ、ひどく疲れることが苦しいのです。
 
 
○○○

精神科医であるフランクルが強制収容所での体験とその時の心のあり方を綴った名著。
収容所の過酷な環境の描写はルポとしても読み応えがある。
本文では「それでも」と書いたが、生きる理由に悩む人に指針を示してくれる心強い本だと思う。
 

デール・カーネギーの本は邦訳のタイトルが意識が高すぎて、本当に必要として人にあまり届いていないのではないだろうか。
本書も「道は開ける」というタイトルが起業家やキャリアアップを望む人を対象にしているような印象を与えてしまうが、扱っているのは「悩みにどのように対処するか」という問題。内省的な人や、不安を感じがちな人に対しての実践的なアドバイスが書かれている(例えば、「悩みの内容」「自分が取りうる選択肢」「どの選択肢を取るか」を書き出して見る等。)。

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