南青山児童相談所問題と「もっと人殺しの顔をしろ」

南青山の児童相談所を取り巻く反対意見を見ていて、昔読んだブログの記事を思い出した。
「だから、もっと人殺しの顔をしろ」という刺激的なタイトルの記事だ。
啓蒙の話ではありません 町内会長の男性(62)は「説明もないまま突然ケアホームを隣に建てられると、土地を買った若い住民の人生が台無しになる。彼らを守るため、どうしても阻止する」と主張する。 これは人権意識の低さ、無知、因襲、啓蒙の不十分さの話ではないと思います。 これは今まさに起きはじめ、あらわになりつつある話、これ...
 
※児童相談所問題については、報道がいろいろあるのであまりくわしく書かないが、港区が南青山の国有地を取得して児童相談所((仮称)港区子ども家庭総合支援センター)を建設する計画について、一部の近隣住民が反対しているというものだ。
港区の公式情報
AERA
 
「だから、もっと人殺しの顔をしろ」は2010年に書かれた記事だが、ケアホームの建設に反対する町内会長の主張を引用するところから記事が始まる。
本件と良く似たシチュエーションだ。
もとのブログ記事はけっこう長いのだが、
「誰かの快楽や幸福は、他の誰かの不快や不幸とつながっている。
自分の快楽や幸福の裏側に、そのために死んでいる人間がいることを理解しろ。
もっと、人殺しの顔をしろ。」
というのが私なりに読み取った論旨だ。
間接的、または不作為による人殺しと無縁な人間はいない、ということ。
 
ようこそ、ここは「不幸のくじ引き所」です。
 

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人助けと人殺しの報酬とリスク

人間は、期待できる報酬と許容できるリスクの範囲内でしか他人を救わない。
これは極めて当たり前のことに見える。
だが、この場合の報酬とリスクは、金銭だけではなく様々な形を取る。
 
「誰かを救いたい」という感情を充足させることは報酬だ。
誰かを助ける行為が称賛されることも報酬だ。
自分が快を得る機会を失うことはリスクだ。
自分の将来に対する不確実性が増えることもリスクだ。
 
そして、これは裏返せば人殺しの報酬とリスクになる。
「自分が救えたのに」という感情が発生してしまうことはリスクだ。
誰かを救わない行為や不作為が非難されることはリスクだ。
自分が快を得る機会が増えることは報酬だ。
自分の将来に対する不確実性が低下することは報酬だ。
 
単純に考えすぎかもしれないが、
他人を救うのは、誰かを救うことに強い喜びを感じるように生まれ育った人か、誰かを助けても快を失わず不確実性も増えない盤石な強者だけではないだろうか。
 
川で溺れている子供を助けに行かない人は不正だろうか。
寒い12月の川だ。自分も若くなく、若い頃ほど体力に自身が無い。自分の子供もまだ幼い。
溺れる子供を助けようという強い気持ちで行動できないのは咎められるべきことだろうか。
 
発展途上国に援助をしないことは不正だろうか。
PayPayの20%還元キャンペーンで2018年モデルのiPadをお得に購入できたことを喜ぶのではなく、それを援助に回して乳幼児にワクチンを与えるべきだろうか。
富める国に生まれたことは罪であり、援助によって償わなければいけないのか。
 
嫌な嫌な労働の対価を30年間貯めて持ち家を購入した。
近くに、精神病院や障害者施設が建設されて地価が下がることを、市民の義務として受け入れるべきなのだろうか。
不幸のくじが、自分を狙い撃ちするのを座して待つしかないのか。
 
これらの問題は、全て程度の違いでしかないのかもしれない。
痛みを伴う人助けは、だいたい意見が割れるものだ。

縄張りの平穏と人殺しの顔

南青山児童相談所問題では、特に2018年の10月と12月に開かれた区民向け説明会の様子が話題になった。
「ネギ1つ買うにも紀伊国屋に行くような状況で、DVなどで保護される方々はすごく生活に困窮されている方だと聞いていますので…そういう方たちが生活するのにふさわしい場所なのか」
「この周辺のランチ単価知ってますか? 1,600円ぐらいする。」
「いろいろな習い事をしている子どもが多く、学校のレベルが高い。施設の子が来れば、逆につらい気持ちになるのではないか」
「不動産の価値が下がる。街の魅力が半減し、街の発展のブレーキとなる」
また、テレビで芸人が以下のようにも言っていたようだ。
「親に暴行された子どもが、外に飛び出して暴力を振るったり、カツアゲをしたりするかもしれない」
 
どの意見も「人殺しの顔」をしており、利害関係のない人間からは異様に見えるが、恐れているものは以下の2つだろう。
・地価の下落
・自分とは異なる属性の人間
なんてことはなくて、これは縄張りという人間がずっと昔から悩んできた問題なのだ。
 
これらの発言の背景にはイメージや無知が多くあるという。
例えば、以下の事項は様々な識者が指摘している。
児童相談所を少年院・鑑別所と混同している
被害児童の保護だけでなく育児相談なども児童相談所の業務である
児相が出来ると本当に地価が下がるのか
DVは貧困家庭だけの問題なのか
 
なるほど。
だが、人間に恐怖を感じさせるのは、定義やエビデンスではなく、イメージと単純な因果関係だ。
 
自分と異なる属性の人間が混入することで、自分の縄張りの平穏が脅かされそうな気がするというのは、人殺しの顔をする十分な理由なのだと思う。
 

○○○

児童相談所の充実には賛成だ。
また、反対住民のブランド意識や選民意識を振りかざすような主張は見ていて気分が悪い。
だが、縄張りの平穏が侵されることを心配する者にに対して、自分がリスクを追わない立場の人間(マスコミ、識者、ご意見番、芸人等)が、「不寛容」「わがまま」といった非難をするのも醜悪だ。反対住民が虐待を受ける児童のことを考えていないのと同じように、彼らもまた住民が抱く不安のことを考えていない。
個人的には、行政が法で定められた手続きに則って、粛々と建設計画を進めれば良いのだと思う。
そして、反対住民も法に定められた方法で反対すれば良い。イメージと単純な因果関係による本来必要のない恐れの中には、その過程で解消されるものもあるだろう。