「犯人探し本能」に振り回されないために(ファクトフルネス)

登戸で凄惨な通り魔事件が起きた。
亡くなった方々のご冥福と、被害に合われた方々の一日も早い回復をお祈り申し上げます。

PV稼ぎのために犯人のプロファイルをかき集めた記事は書かないが、本件の報道とからめて、最近良く考えていた、人間の「犯人探し本能」について述べたい。

犯人探し本能

今年のはじめに発売された「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」(日経BP社)という本がある。著者筆頭のハンス・ロスリングは国境なき医師団で僻地医療に携わった経験を持つ医師であり、公衆衛生の専門家だ。
本書では、人間が陥りがちな認知バイアスについて10の類型に分けたうえで「実際の世界はそうなってはいない」というデータを提示し、バイアスを解きほぐして行く。行動経済学や心理学とも共通する内容が多いが、人間の研究よりも現実の世界のデータ(生活水準、教育水準等)にフォーカスしているのが特徴だ。

本書の10のバイアスの中に「犯人探し本能」が挙げられている。
端的に言うと「なにか悪いことが起こった時に単純明快な理由を見つけたくなる傾向」のことだ。

本書にある興味深い例を紹介する。
2015年に、地中海をボートでヨーロッパに向かっていた4,000人の難民が命を落とした。多くの人は、これを難民から一人1,000ユーロを取って、経費削減のためにボロボロのボートで地中海を越えようとした欲深い密入国業者のせいにした。
だが、実際には、この事件はEUの移民政策が根底にある。2001年のEU指令で、入国許可書類の無い外国人をヨーロッパに運び込んだ場合は、航空会社やフェリー会社が自費で母国に送り返すよう定めていたのだ。
ジュネーブ条約に基づいて保護を求める難民は対象外としていた(難民は不法移民ではない)が、航空会社の職員がチェックインカウンターで難民と不法移民を見分けることは不可能だ。結局、事前にビザを取得しない限り、旅客機やフェリーでは欧州には入れないのだ。そして、事前にビザを用意することが困難なのは難民も不法移民も同じだ。
ちなみに、密入国業者がボロボロのボートを使うのは、ヨーロッパに入国すると船は没収されるからだ。一回だけの航海のために船を用意することはできないのである。

ギリシャに流れ着いた難民の子供の遺体の映像をかわいそうに感じ、密入国業者を道義的に避難することで、多くのメディアも視聴者も満足するのだが、それだけでは何も状況は変わらない。

こういった認知バイアスは、行動経済学でも明らかになっており、「自分がみたことがあるもの」「イメージ」「発生する感情」に基づいてヒューリスティック(経験則的)に結論を出そうとする傾向が示されている。

属性とスティグマのあやふやな土台

重大な事件が起こると、報道機関は比較的容易に調べられる犯人のプロファイルに関する情報を流し続ける。視聴者の興味を引くので、広告媒体であるマスメディアはこれを競って報道する。
そして、犯人のプロファイル情報を受け取った視聴者は犯人探しをしたがるので、メディアは事件と関係のありそうなプロファイルや属性を強調する。
本件だと
「30年間引きこもり」
「引きこもりなのにスマホを持っていない」
「部屋にゲームがあった」
「過去に近隣住民とトラブルになったことがある」
といった情報だ。

例えば、以下の記事は、「不安を煽ること」と「犯人探し本能を刺激すること」を目的とした露骨なものだ。媒体も著者もそうした意図に気づいていながら需要に答えるためと割り切っていそうで質が悪いと感じる。
今見えている表面的な犯人の情報だけをもとに、過去の大事件とのちょっとした類似点を強調することに意味があるとは思えない。

文春オンライン:川崎・登戸の大量殺人犯は”池田小事件・宅間守”に似ている―—精神科医の分析

5月28日朝7時40分ごろ、スクールバスを待っていたカリタス学園の小学生らが相次いで刺された川崎・登戸の大量殺傷事件。両手に刺身包丁を持ち18人を刺した男は、自分で首付近を刺し、病院で死亡が確認された…

実際には真相の究明は捜査手続・公判手続の中で行われるが、その頃には視聴者の関心はもっと新しい出来事に移っているので、事件発生時の報道で出てきた属性がそれ以降の犯人探しの材料として世間の記憶に残り続ける。社会的なスティグマとなることもあるだろう。特にアニメ、ゲームといったサブカルチャーは日本では宮崎勤以来異常犯罪者のアイコンとして扱われる。最近はSNSで「ゲーム機なんて誰でも持ってる」という突っ込みが入るようになったが、社会全体としてはまだ拭い切れていないだろう。

犯人探し本能と付き合うために

ハンス・ロスリングは犯人探し本能を抑えるために「誰かに責任を求める癖を断ち切る」「犯人ではなく、絡み合った複数の原因に注目する」といったことを挙げている。
もっともなのだが、僕はの悲観論者なので、皆がそうなるのは無理だと思う。ただ、人間には責任を分かりやすい人やモノに押し付けたがる傾向があるということを覚えておくと、他人に怒りを感じにくくなるとは思う。すくなくとも、マスコミや広告が同じようなことを何度も何度も繰り返すことに憤りは感じなくなるだろう。

ということで、犯人捜し本能の制御は自分では意識しておきたいものの、他人にはあまり期待しないようにしたい。あんまり他人の犯人捜し本能を非難すると、今度は自分が犯人にされそうだもんね。

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