ウェルベックのセロトニン:「邪魔をして失礼しました」という人生

ミシェル・ウェルベックの最新作「セロトニン」を読んだ。
原著と英訳が今年のはじめに出た作品なので、邦訳が9月に出るのはかなり早いと思う。
 

 
僕も大好きな作家で、読むようになったのはわりと最近だが、小説作品は全て読んでいる。
(ちなみにウェルベックは小説以外に評論も書いており、いくつかは邦訳もされている。)
多様なテーマを取り扱っていながら性と鬱の話が出てきがちなのがちょっとワンパターンかもしれないが、多くの読者がそれを求めているのだとも思う。
 

個人的に良かった順番は以下の通り。

素粒子>地図と領土>ある島の可能性>闘争領域の拡大=服従=プラットフォーム

セロトニンは暫定で「地図と領土」と「ある島の可能性」の間に入れておきたい。
 
ここではセロトニンの読書メモと感想を書く。
それなりのネタバレを含むので気にする方はご注意ください。
明確に「これから読もうと思っている」方よりは、「読もうかどうか迷っている」「文庫になるのを待とうか迷っている」という方に参考にしていただけたら嬉しい。
 

あらすじ

46歳の主人公フロランが、プライドが高く浮気性の恋人と高級の仕事を捨てて蒸発し、過去に付き合った女達との思い出を語る。
そして、いくつかの再会と事件に打ち砕かれ、緩慢に死に向かって行く。

セロトニンとキャプトリックス

まず本書のタイトルである「セロトニン」と、主人公のフロランが飲んでいる抗うつ剤である「キャプトリックス」について取り上げたい。
 
セロトニンは人間の体内で使われる神経伝達物質だ。
脳のニューロンに代表される神経細胞は、細胞内の情報伝達には電気信号を使うが、神経細胞と神経細胞の間(シナプス)の情報伝達には、様々な神経伝達物質を使う
そして、脳内の神経伝達物質の状態が人間の精神状態、心理状態に大きく関係することが分かっている。
メジャーなものでは、グルタミン酸は興奮と関係し、GABA(ガンマ・アミノ酪酸)は沈静に関係する。
また、アドレナリンやノルアドレナリンはやる気に関係している。
一方、セロトニンは「幸福」に関係すると考えられている。
そして、脳内のセロトニンの不足が気分の落ち込みにつながり、うつの原因になると考えられている。

現在うつ病の治療に使われる抗うつ剤の多くは、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれるものだ。
脳内のセロトニンの再取り込み処理に干渉し、セロトニン濃度を高めることでうつ状態を治そうとする。
米国のプロザックが有名だが、日本で処方されるものだとパキシル(パロキセチン)やジェイゾロフト(セルトラリン)が有名だ。
また、セロトニンに加えてノルアドレナリンにも作用するSNRIという薬もあり、サインバルタ(デュロキセチン)が有名だ。
僕もパキシルとサインバルタは飲んだことがある。メジャーな薬なので経験者は多いと思う。

さて、本書でフロランが飲んでいるキャプトリックスはSSRIではない。
冒頭で語られるが、キャプトリックスは2017年に発見された「キャプトンD-L」を主成分とする薬で「胃腸の粘液で形成されたセロトニンの細胞外への分泌を助長する」作用がある。
(人体のセロトニンの大部分が腸で作られる。脳腸相関が注目される理由の一つ。)
気になって海外のサイトで抗うつ剤(Antidepressant)の一覧を調べてみたのだが、類似の機能のものは見つからなかったので、おそらくウェルベックの創作だろう。
キャプトリックスは「前世代の抗鬱剤」と異なり、自傷や自殺に至る可能性は低い。
だが、嘔吐や性欲の減退といった副作用があるのは古い世代の薬と同様だ。
(僕もパキシルを服用していたときに性欲の減退は大いに感じた。)
そして、この性欲を失ったというのがこれまでのウェルベックの著作で何人かの主人公が(一時であれ)救われたような救いを求めることを難しくする。
 

愛情の偏在の表現型

人間は子孫を残すようにプログラムされている。
誤解されがちだが、これは「子供がほしい」と感じるように設計されているという意味ではない
もっと細かい「性器に感覚受容体が集中している」「射精や膣の刺激により絶頂を感じる」「セクシーな異性と触れ合うとドキドキする」「何度も顔を合わせていると愛着がわく」といったことが総体として子孫を残すように機能するというだけだ。
だが、進化的に選別されているだけあって、これらのサブシステムが人間の行動や感情に与える影響は強い。
それゆえ、人間の問題の多くが愛情と性欲に帰着する
 
人生に憔悴した男が女によって救われる場面がウェルベックの小説ではよくある。
「素粒子」の異母兄弟の兄ブリュノとクリスチャーヌ、「プラットフォーム」のミシェルとヴァレリーがそうだ。
本書ではそういう展開にはならない。
これまでも「素粒子」のミシェル・ジェルジンスキのような最初から最後まで淡白な主人公はいたが、主人公が女によって救われる場面がまったく無いというのはウェルベックの小説では珍しいと思う。
これは上で挙げたキャプトリックスの副作用の性欲減退も一因だが、フロラン自身が持つ世界に対する無関心も大いに影響している。
彼がもとからそうだったのか、それとも抑うつゆえにそうなったのかは語られない。
だが、愛情と性が関心事でありながら、それを得られない状態にある
「闘争領域の拡大」で触れられたルックスや評判による恋愛格差・愛情格差とは異なるが、これもまた愛情の偏在の表現型のひとつなのだろう。
 

邪魔をして失礼しました

ウェルベックの小説の登場人物は、みんなどこかぶっ飛んでいる
天才、大物アーティスト、大学教員と、身分は申し分ないが、冷笑的でトラウマ持ちで世界を呪っている
友人としては面白いが、身内にいたら大いに困りそうな男たちだ。
だが、それでいて、自分の中に、たしかに彼らと似た部分があることに気づく。
僕たちもまた、大なり小なり冷笑的でトラウマ持ちで世界を呪っているのだ。
 
その時ぼくは、「邪魔をして失礼しました」というこの表現が自分の人生を要約していることに気がついた。
 
本書の終盤に出てくる言葉だが、これを見て、本書のフロランも確かに自分の中にいるかもしれないと感じた。
この言葉に惹かれるものがある方は、ぜひ本書を読んでみてほしい。
あなたの中にもフロランがいるかもしれない。
 
 

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