「フィクションにおける純粋な悪が存在するという描写は有害ですらある」
純粋悪の魅力
役柄が明確な純粋悪は物語の語り手にとっても読み手にとっても魅力的なのだ。
また、日々周囲の目を気にして葛藤を抱えながら生きている人間にとっては、他者の思惑から解放されている純粋悪は魅力的に見える。
「捕食者」として他者のことなど意にかけずに振るまいたいという欲求、
そこまで行かなくても、他者の抑圧から開放されたいという欲求は誰しも持っているだろう。
「サイコパス診断」のような企画があると「サイコパスの思考をトレースして自分はサイコパスだと見られたい!」という中二病的な欲求が出てくるという方も少なくないだろう。
(サイコパス診断:あなたはマンションのベランダから、隣の建物で男が別の男を刺し殺すのを目撃してしまった。あなたが見ていることに気がついた犯人は、あなたの方を人差し指で指差す動作を繰り返す。なぜだろう?(答えは最後に))
普通の人の脅威
文章の細部やフォントといった重箱の隅をつつくような事柄を偉そうに指摘する同僚は、あなたを困らせようとするサディストではなく、時間をかけてでも体裁が美しい文書を作ったほうが良いと本気で思っているだけだ。
リアルでは、数が少ない純粋悪よりも普通の隣人の方がトラブルの素である。
そして自分と利害や価値観が対立しているだけの人を純粋悪と仮定してしまうと、いろいろ対処を間違える。
本の紹介
冒頭に挙げたもの。
著者のポール・ブルームはイェール大学の心理学者。学会の会長も務めた重鎮。
進化心理学や道徳心理学の本でよく出てくる、生後半年の赤ちゃんに、○△□が喧嘩や協力をするような映像を見せるとちゃんと理解できている、という実験が有名。
共感は対象に強烈なスポットライトをあて、属性間の断絶を強化する。
情動的共感に頼らなくても我々はたがいに配慮し合うことが出来る。
という内容。
例えば、若い勤務医の過重労働が問題になっているが、共感ではこれは解決できない。
医師の側に立つ人もいれば、病気の子供や病気の子を持つ人に「共感」し、過重労働は必要悪だと論じる人もいるからだ。
これを解決するには共感ではなく、過重労働による医師のパフォーマンスの低下と医療体制のスリム化の影響を比較検討する功利主義的な枠組みが必要だ。
(実態は、医師会が医学部医学科の定員を少なく維持して既得権を維持しようとしているしわ寄せが若手に来ているという構造的な問題なのかもしれないが。)
常々自分が考えていたことと近く面白かったが、心理学の本にしては実験の紹介が少なかった。
サイコパス診断の回答
僕を含めて一般人の回答:「次はお前だ!」というメッセージ
サイコパス的な回答:目撃者(あなた)を殺しに行くために部屋が何階か数えている。