「しらふで生きる」町田康・断酒に効くロジックと態度

町田康の「しらふで生きる 大酒飲みの決断」(幻冬舎)を読んだ。
自助本と言うよりは4年間断酒している元大酒飲みのエッセイだが、自分のような飲酒をコントロールしたいと考えている過量飲酒者には役立つ視点が多かった。

内容

大伴旅人の「酒を褒むる歌」を唱えながら30年間大酒を喰らって来た著者が、2015年12月から断酒を始める。
すぐに言葉にできる明確な理由はない。
あの時自分を断酒にいざなった「狂気」は何を考えていたのか?
著者が断酒後に気づいた酒をやめるべき理由と、酒をやめてからの変化が語られる。

問題飲酒のメカニズムと意識改造

本書の話題は多岐に渡っている。悪く言えば散漫だ。
断酒に至る心境の考察や、自助グループ、抗酒剤、周囲に断酒宣言することに対する著者の考え方も語られる。
中には「酒を禁じるイスラム教やモルモン教に改宗すれば断酒できるか?」
というような一見不真面目なネタもある。
(ただ、自分もウェルベックの「服従」の影響で改宗を2,3日考えたことがある。)

その中で一冊の本として見た時に最も重要なのは「飲酒にいたるメカニズムと、それをどう意識改造するか」という部分だと感じた。
著者の指摘する飲酒のメカニズムは端的に言うと、

⇛自分は他人よりないがしろにされている
⇛自分にも幸福になる権利がある
⇛酒を飲めば幸福になれる

ということだ。

意識改造はこれに対して、

☆自分は他人より優れていて特別なわけではない
☆「幸福になる権利」などというものは誰にもない
☆酒による幸福は高く付く(健康、酒を飲むこと以外の価値を低く見てしまう等)

といった再認識を行うというもの。

詳細な説明は本書でご確認いただきたいが、自分が最も目からウロコが落ちたのは
「幸福追求権」という言葉が独り歩きした結果「自分には『幸せになる権利』がある」という誤った認識が広がった
という旨の主張だ。
こういった現象は自分もよく考えていたので、我が意を得たりと感じた。
本の内容からは離れるが、自分が考えていたのは啓蒙思想が生んだ誤解だ。
啓蒙思想家達は決して「国家の誕生前は万人の万人に対する闘争状態だった」とか「国家は社会契約のもとに成り立っている」と考えていたわけではないだろう。
これらは、市民革命の時代の新しい人間観の中で、王権神授説に代わる国家と権力の正当性を主張するためのメタファーだったはずだ。
だが、言葉が独り歩きするようになると「社会契約なのだから法に従うべきだ」というような誤った認識が出てくる。
幸福追求権という言葉もその手の影響を与えてしまっているのだ。

ロジックで戦う

結局のところ、アルコールを断つために必要なのは、自分の中にアルコールを求めないロジックを確立することなのではないかと感じる。
もちろん、連続飲酒でボロボロになるところまで来たら入院治療が必要だし、その手前でもカウンセリング、自助グループ、抗酒剤、行動療法といった有力なアプローチがある。
だが、ずっと入院していられるわけではないし、援助者がいつも近くにいるわけではない。最終的に簡単に手に入りすぎるエチルアルコールという物質をを嚥下するかどうかは、自分の手に委ねられる。
自分が酒を求める理由を把握し、それを凌ぐ酒を必要としない理由を手に入れる。
アルコールに限らず、意に反して囚われてしまう行動を律する方法は、最終的にはここに行き着くのではないだろうか。
想像になるが、実は著者自身も断酒を続けるために、本書の内容のような定期的な動機の言語化を行うことが必要だったのではないかと感じた。

おわり 酒を依存に置き換えて

本書は、基本的に習慣的な酒飲みを対象に書かれている。
作家・町田康のファンならともかく、下戸で晩酌や「暇だから飲む」という習慣が無い人には理解し難い話が多いだろう。
ただ、そういう時は「酒」をあなたがハマっていて制御しあぐねている別の習慣に置き換えてみてると面白いと思う。
ショッピングでもゲームでもSNSでもかまわない。
酒飲みの話ではあるが、依存の本質として参考になる部分があるのではないだろうか。

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