ニザン「アデン、アラビア」・僕たちは二十歳だった、だが。

ポール・ニザンの「アデン、アラビア」(河出書房新社)を読みました。
 
 
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」
自分も含めて、この、若者には共感を、壮年以上には青春への回顧を呼び起こす美しい言葉をどこかで目にし、本書が気になっていたという人は多いのではないだろうか。
自分はこの言葉を学生の頃に沢木耕太郎の文章で目にした。エッセイか深夜特急だったと思う。
だが、長らくこれがニザンの「アデン、アラビア」のものだということは忘れていた。
ただ、「アデンアラビア」という呪文のような言葉はずっと自分の頭の中に残っていたようだ。
今回10年前に新訳で出版されていたことを知り手にとった。

 

あらすじ

将来が約束されたフランス社会のエリートである高等師範学校(エコール・ノルマル)の学生である僕。
第一次大戦後の変わりつつある世界、大学の浮世離れした学問とそれでいて将来が約束されるという二重構造に苛立った僕は、アラビア海に面したアデン(現イエメン)に旅立つ。
 

若者を囲繞する空気

石川啄木
「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった」
『時代閉塞の現状』で述べたのは1910年のことである。
ニザンが「アデン、アラビア」の旅に出たのは1926年である。
いずれも、両国が戦争の狭間にある時代であるという点で共通しており、変化の必要性と流動しない空気のギャップに苛立っている。
『時代閉塞の現状』の結論自体は当時のものだが、「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった」という言葉そのものは100年後の我々が若い頃に感じていたことと同じだ。
いや、100年後の今日だけではなく、人間の時代を貫くほどの普遍性を持っているのかもしれない。
流動せざる空気に抗うために、若者は旅に惹かれる。壮年、老年になってからも旅に惹かれるが、そこにはすでに世界を変えるという視点は失われている。
もっとも、若者が旅に出たくらいで世界は変わらない。だが、自身を変える影響を受けることは多いだろう。
 

後ろ向きな旅行記

『アデン、アラビア』は暗い旅行記だ。
海と大地と街の描写はあるものの、その多くはそこにいる人々の営みに当てられている。
イギリスのアラビア大陸支配の要衝の一つであったアデンでは、支配階級のヨーロッパ人、現地人、そして移民労働者といった階層に分かれた多くの人々がいる。
それは結局、身分と不平等で作られた快適な生活であり、ニザンがパリで見ていた景色の縮図であった。
その一方で、この美しい海と砂漠の街には、演劇、音楽、文学といった文化がどうしようもなく不足している。
僕は何度人間という言葉をくり返すのだろう。他の言葉を与えて欲しい。問題はこういうことだ。人間という言葉の中に何があるのか、そして何がないのかをはっきり述べること。」
このニザンの態度は、観光が大衆化した自分の世代の人間がはじめて異国を旅したときとの感覚とは大きく異なる
はじめて東南アジア諸国を訪れた日本の若者は、その活気と乱雑さに、おおむねパワーとポジティブな印象を受けると思う。
もっとも、これは自分と似た人々の感覚であり、不衛生や交通機関の遅れへの苛立ちにより悪印象を持って帰る人も相応にいただろうとも思う。
ともあれ、この物語の中で、ニザンは見慣れぬ景色を楽しみ刺激を受けるだけの旅行者ではいられない。
離れたいと思ったはずのヨーロッパ社会との相似形をいくつも見つけ、後の社会主義運動につながっていく。
「僕に詩情と救済に満ちた旅行を描いてみせるのはもうやめてほしい。海底とか、次々と通り過ぎていく国々とか、森、山脈、万年雪に覆われた頂上や三十階建ての建物の前に立つ奇妙な衣装を着た人たちを描くのはもうやめてほしい。」
 

ドアの先にあるもの

「逃げ道ならいくらでもあった。どこにも行き着かないドアならいくらでも。」
これは本書でニザンが旅に出る前に出てくる言葉だ。
アデンでヨーロッパの相似形をいくつも見つけて、闘争の意思とともにパリに戻ったニザンは、先につながるドアを開けたが、ただ結局もとの場所に戻ってきたことになる。
堂々巡りを繰り返す過程で、世界ではなく自分が変わっていく。
流動せざる空気に囲繞された私達は、そうすることで認識と世界のギャップをすり合わせて行くのかもしれない。
 
堂々巡りを
堂々と繰り返して
老いていくのだろう
 
 

 

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