短文はなべて有害である

短文は有害である。
私達は、他者の関心を惹くために、短い言葉に、不安、不公平、属性への批判や称賛を詰め込む。
詳細や文脈を捨象し、感情を惹起せしめる箇所にフォーカスする。
現在の世界で目立つのは、偏っていて一貫した意見だ。
30人の賛同者も70人のアンチも、全て短文が拡散するための養分になる。
 
 

メディアを介してわたし達の目に入る短い言葉には、人間の関心を惹く要素が凝縮されている。

  • 虐待される子供ーかわいそう
  • 無差別殺人事件ー理不尽
  • 富豪の欠点ー認知的不協和の追認
  • 貧乏人の愚かさー因果関係による安心
  • 成功者の優秀さー序列上位の者への憧憬
  • 若者への嘆きー自分と違う属性への批判
  • 老人への怒りー同上
 
媒体も様々である。
ニュースのヘッドライン、電車の中吊り広告、Twitter、YouTubeのサムネイル
アナログかデジタルかは関係ない。
大袈裟に不安や怒りを煽ろうとするのは、ウェブメディアやソーシャルメディアの時代に始まったことではなく、既存のマスメディアも同じだ。
おそらくは、人間の営みがすべからくそうなのだ。
賛美、憧憬、怒り、妬み、非合理への苛立ち、配慮を欠くことへの批判
雑な言い切りは多くの感情を生み出し、発言者への注目を集める。
 
僕も、これに対して「短く強い言葉」を使いたい。
短文は有害である
繰り返す。
短文はなべて有害である
他者との関係、自身の適性、利用可能な資源(資産)
我々はどこまで行っても自分を取り囲む文脈から自由にはなれない。
だが、それゆえ文脈から切り離された短く偏った意見に惹かれる。
短文の使用者は、我らのその性質を悪質に利用しようとする者である。

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